中野区の名所。東福寺

東福寺。中世の初め、平安時代末期に江古田村の村人が、武蔵御嶽神社の社僧であった源教の教えに従い、当地に寺を建立したのが始まりとされています。江戸時代には徳川将軍が鷹狩りの際にしばしばこの地を訪れ、八代将軍吉宗公は御膳所に指定して休憩場所として使われていました。かつて「お成りの間」と呼ばれる部屋が本堂にありましたが、1965年に取り壊され、現在は「徳川将軍御膳所跡の碑」が建てられています。

東福寺と江古田の獅子舞

都内最古と言われている三匹獅子で有名な江古田獅子舞の起源は、中野区江古田にあった御嶽神社(後に氷川神社に合祀)と、その社僧であった東福寺によって鎌倉時代に始められたと伝えられています。氷川神社が鎮守となってからは、この獅子舞は氷川神社に属するようになりました。中野区歴史民俗資料館の史料によると、慶応2年(1649年)に修験僧の宥円が獅子舞を伝授した記録が残っています。江戸時代の正保年間には、三代将軍家光が鷹狩りのために江古田界隈に滞在し、御善所であった東福寺で獅子舞を鑑賞したとされています。この「三代将軍上覧の獅子舞」という由緒ある伝統から、この祭礼では幕府から特別に「御用」と書かれた高張提灯を掲げる特権が与えられました。現在でも氷川神社の舞楽殿(芝原)で奉納舞が行われる際には、その提灯が掲げられています。

近くにある江古田の森公園を流れる川に架けられた橋の一つ、北江古田橋の四隅の欄干は、旧江古田村御嶽神社からこの東福寺までの行列を描いた江戸時代後期の絵巻をもとに制作された絵タイルで装飾されています。地元の方に愛されている獅子舞の始まりの地である東福寺、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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